@geeorgey

吉田丈治のブログ。その時考えてる事をつらつらと。リバネスとしての考えではなく、個人的なものです。

趣味と実業の違い

教育とかやってるとですね、ちょこちょこ見る訳です。

引退した人たちがNPOで教育みたいなことを始めるというパターン。

志は認めますし、どんどんやればいいと思うのだけれど、そういうので上手くいってないパターン(つまりお金が集まらない)を見てると、そりゃそうだろと思ってしまう事はままあります。

いいことをやるためにはどうしたらいいだろうか

誰もが諸手を上げて賞賛することって、こと教育について言えば、少なくは無いと思います。

その活動素晴らしいね」というキーワードがどこから来るかというと、やりたいけど自分たちにはできないなぁという立場から発せられる言葉であることが少なくないはずです。

何故同じ事をできないかというと、普通にやっていたらコストが合わないからですね。教育に関して言うと、本当にそうなります。そして、ボランティアが無料奉仕をするために、スペシャリティのない教育(誰でも出来るような付加価値の低い教育)については業者が淘汰されてしまい、最悪市場がなくなる事に繋がります。では、このボランティアが引退した人たちが創り上げたものばかりだったとしたらどうでしょう。若者は参入の余地がなくなりますし、雇用機会を剥奪するということにも繋がるのだろうなと思います。

いいことの実現方法

引退した人たちという観点から考えれば、私財をなげうって教育に投資する。これが一番シンプルです。中途半端に助成金に依存して、身銭を切ろうとしないから全然美しさが無い。それは志ではないんじゃないかなと思ってしまうわけです。

そうじゃない場合はどうするかというと、自分たちがやりたい世界を実現するためには何でもやらなくてはならない。それを実践する必要があります。

助成金が少ないから人が集まらない。っていうのは甘え以外の何者でもありません。そこにお金を集める能力が無い自分たちのせいです。

趣味と実業の違い

そういうわけで、こういう助成金に甘えている人たちが何を言うかというと、自分たちがやりたいことが素晴らしいんだから、そこに対してお金がついてほしいな。みたいな感じになるわけです。ただ、やっぱりやりたいことばっかりを、それが良い事だからという理由でやらせてくれるほど、日本には余裕が有りません。教育事業であれば、それをやることが目的になっているのであれば、教育事業を展開し続けられるにはどうすべきかをもっと考える必要がある訳です。

教育だけでお金が入ってこないのなら、その他の仕事をすべきなんですよ。それをやらないのであれば、そのNPOは趣味の範囲だろうとしか思えない。

Valueを追求しないと続かない

自分たちが提供していることの価値はなんなのか。それは教育のやり方です!と思っているのであれば、ちょっと頭の中お花畑が過ぎると思います。ましてや教育をやるのであれば、それは10年そこら続いたってほんものか分からないわけです。せめて20年、もっと長いスパンで自分たちが提供し続ける価値が世の中を変えていくんだという気概でやってほしいなと思います。

そう考えたら、助成金に頼るなんて絶対にあり得ないと思う。

僕がやるとしたら、残りの人生教育にかける!という引退した人たちをセミナーやらなんやらを開いて集めまくり、私財を投入する口座にお金を集めまくります。それを活動資金としていろんな場所で教育活動を行なってみる。

資金が集まれば集まるほど、そこに出来る大きなファンドが教育に資する訳です。恐らく直接的に教育に落ちるお金と、どこかに投資してその利益を確保していくみたいなやり方もそのうち出てくるのでしょう。

でも、こういう人って結構全国に居そうなんだよな。

考え方を説きながら、彼らを誘導するということが出来れば、面白いのかもしれないけど、言っても老人たちは頭が固い。僕らよりはるかにだ。そこを変えることを考えるなら直接的に教育に投入したほうがリターンが大きいよね、とか思っちゃうね。