@geeorgey

吉田丈治のブログ。その時考えてる事をつらつらと。リバネスとしての考えではなく、個人的なものです。

人口縮小傾向の日本において、どこまでインフラを維持すべきだろうか。

最近ちょこちょこ考えているのは「地域活性化」というキーワードだ。(*このPostは会社の総意ではなく、現時点での僕個人の頭の中を示しています。今後変化がある可能性は大いにあります)

リバネスには地域開発事業部という事業部がある。地域が活性化する事が、我々の理念「科学技術の発展と地球貢献を実現する」に資するだろうということで暫く走らせてきた事業部だ。最近、この部分が割りと深い思考が必要な領域だなと感じている。

地域活性って何だろう?

つまるところ、地域が活性化した状態というのは、経済が上手く回っているという状態なのだろうと思う。良い人材が揃っているだとか、環境が良いとか、そういうのも、評価方法を考えれば経済が回っている事というのがついてまわると思うのです。

経済が回るってどういうことでしょうか

結局、経済に依存して考えるとすれば、それはお金が回っているという事にほかなりません。なにがしかの資源が、経済効果を伴って地域を流れる。そういう状態を絶え間なく回すということが出来る地域というのが、活性度の高い地域なんだろうなと思うわけです。

縮小する日本経済と地域活性

一方で考えると、日本は将来的に人口が減って行くことが明確にわかっています。世界の人口が増え続けるのを尻目に、どんどん減り続ける訳です。どれだけ効率よく、日本人が働いたとしても(そんな事すら考えにくいですが)減りゆく人口を考えると、日本の経済規模というのは縮小せざるを得ません。(現在の離島の人口減少傾向なんかはちょっと先の日本全体の縮図に見えます)

そして、生活するというのは、エネルギーコストがとても高いわけです。共同体・社会というものを、いわゆる限界集落を除いて、日本では気合で維持してきました。それは日本の隅から隅まで一律になんですよ。先人は頑張りました。

ただ、一方で最近では無医村があったりする。もはや、医療インフラは全国一律なんて無理な訳です。(というか逆か。ある程度お金があったからヘリ飛ばしたりできたけど、これからそのインフラを維持するのは難しくなるという感じ)
郵政民営化の際には、地方の郵便局は廃止だ!とか言って問題になっていた事が懐かしいですが、そんなの当たり前じゃないかと僕は思うけです。

だって、日本人は、日本全国で一律同じようなサービスを維持できるほどの、経済力が無いって事なんですよ。もう、ないの。それってしょうがなくないですか?

地域活性は善か悪か

そう考えると、やたらめったら地域活性だ!といって旗を振るのは迷惑な気もする。
だって、やっぱりどう考えてもこの地域は100年後に住民がいないだろうなという地域はあるわけですよ。将来限界集落になること決定な地域だって絶対にある。そういう地域を何とかする事によって、何かがうまれるのだろうか。真剣にそう思います。

一方の考え方としては、地域社会の維持に貢献することで、日本国内にいろんな環境で育った人たちを維持することが出来るという側面があります。つまり、人間的多様性の維持です。これのみが僕をポジティブに動かしうる理由な訳ですが。
極端な話、人口が激減したとしたら段階的に地域を放棄して、将来的には東京と大阪のみにしか街が無いなんてことにもならざるを得ない時期が来るかもしれません。そうなると、育ってきた環境が一律化されやすくなり、多様性は維持されなくなります。多様性が無い社会は、脆弱性を持つ訳で、きっと大きな変動には耐えられません。
そうやって日本が沈んでいくということも、100年、200年というスパンで見たらありえるかもなと思うわけです。

地域活性とはなにか

最近聞くところの地域活性は、新しい商品、目玉となる観光資源、そういったものをPRして人々に地域に来てもらい、経済効果を生み出しましょうというものが多い。これは、諸刃の剣なんですね。

その地域が目立てば目立つほど、周辺地域には人が行かなくなります。目立った地域を中心に、その周りの地域が厳しい状況にならざるを得ない。これというのはなぜかというと、日本にある経済規模というものは、国内だけで考えたら総量が変わらないからです。

日本という土俵の上にある、砂金の山を、こっちからあっちに移動させ、あっちからこっちに移動させる。シンプルに考えればそういう事になります。

東京に寄り過ぎなこの金の山を日本全体に平滑化すれば地方経済は救われるかというと、やっぱりそれはそれで違うということなのでしょう。税金で全てを補うことが出来ない時点でそう考えざるを得ません。(もちろん、国内に存在すると言われる貯蓄が、きちんと日本経済を還流する様になればまた違うかもしれませんが、投資という感覚より、貯蓄という感覚で進んでいる日本ですので難しいのかもしれません。)

国家グランドデザイン

そういう国の行き先というか、形の在り方を提示するのは国家のグランドデザインというらしい。最近はどんな感じで考えられているのだろう。2011年は激動の年だった。日本人の暮らしを根本的に見直すチャンスになった年だと思う。

政治的にも、日本の在り方をもっと説けば良いはずだ。(ぼくが聞く耳を持っていないということもあるだろうと思うのでその辺は変えていこうかな)

メディアは、もっと子どもたちが日本の未来について考えるような情報発信を行なっていく必要がありそうだし。

じゃぁぼくらは何が出来るのだろうか。というところにまた戻ってきてしまう訳です。

プロセスとしての地域活性

とはいえ、今現在でもリバネスは地域でいろんな事をやっています。各地域での取り組みはノウハウとなって蓄積していくのですが、これを活用して、地域で何かを生み出す仕組みというものが作れないかなとかも思う訳です。

一方で、震災当日に僕が研修を受けていた、六次産業化プランナーみたいな制度については、意味ないだろとか思うけどね。(上に書いた通り、如何に売るかみたいな所がフォーカスされすぎてるんだよ)

そういったわけで、色々とやりながら考えているという話でしたとさ。

 

*地域経済が保たれることの重要性
沖縄で観光産業についてちょっと関わっていますが、地域経済が廃れてしまうと、かつてそこにあった観光資源というのは、人の手が入らないことによってより手に入りにくくなるという側面はあるなとは思いました。
ただ、やはりそれも維持するのに相当のコストがかかる。それを日本は払い続けられるのだろうかということに帰着します。